熊野大社かなで祈願祭

日本三熊野の一つとされ、縁結びの神様を祭る南陽市宮内の熊野大社(北野達宮司)境内に、色とりどりの風鈴約500個がお目見えした。参拝者が願いを込めた短冊もつるされ、そよ風に乗って澄んだ音色が。現在では南陽の風物詩になっている。


熊野大社では6月になると、そよ風が木の葉を揺らし、虫の声、川のせせらぎ、そして風鈴の音色…想像するだけで身も心もリラックスできる。「チリン、チリーン」という涼しげな音が、夏がやってきたと思わせてくれる。真夏の暑い日でも、風鈴のさわやかな音色を聞くとなんだか涼しい風が吹いた様に感じる。

かなでの祈願祭日程

芒種 6月16日(日) 小暑 7月21日(日) 立秋 8月18日(日) 白露 9月15日(日)
時間:午前11時から 
祈祷料:5000円撤下品:風の音ふうりん かなで結びのお守り 御札

予約なしでの当日のご参加も可能。10時45分までにご祈祷受付を。
ご予約された方もそれまでにご祈祷受付にお越しくださいとの事。

期間中は「風の音ふうりん」を授与所にて限定頒布。 風の音ふうりん:2,300円(境内に飾ることはできません。予めご了承ください) 6月1日~9月末日まで境内に風鈴をお飾りします。本殿前にお飾りいただくのは、神事参加者のみ。あらかじめご了承ください。

風鈴豆知識

暑い日に涼感をもたらしてくれる風鈴。主に夏に使用されるものとして定着していますよねる。しかし実は風鈴は、もともと占いに使用される道具として扱われていた。

画像をアップロード

「唐」時代 風鈴は「占い道具」

風鈴は日本独特の文化と思いきや、その歴史は古く、世界中に存在するものなのです。わが国では、その昔に中国から仏教とともに伝わり、お寺の四隅などにかけられ、魔除けとして使われていた。その音が届くところに住む人々には災いがおこらないとの言い伝えがある。

今から約2,000年前。中国が「唐」と呼ばれていた時代、「占風鐸(せんふうたく)」と呼ばれる占いが行われていた。風鐸とは、青銅でできた鐘のような道具。 風鐸を竹林の東西南北それぞれの方角に吊るし、風の向きや音の鳴り方で吉兆を判断していたのが占風鐸。

平安時代に「風鐸」から「風鈴」へ呼び名が変わる。

平安時代に入ると、貴族たちも風鐸を魔除けのものとして軒先に吊るすようになりました。風鐸の広まりとともに、名前も「風鈴」に変わっていったといわれている。

日本では「魔除け道具」だった風鈴

奈良時代になると、遣唐使により日本に仏教文化が伝えられ、風鐸もこのときに一緒に伝わり日本でも使用されるようになったといわれている。

日本では、中国のように占い道具としてではなく、魔除けのものとして定着。当時の日本が「強い風は流行り病や邪気などを運んでくる災いのもの」と考えていたため、強い風で音がなる風鐸は、邪気を払ってくれるといわれるようになった。

平安時代に入ると、貴族たちも風鐸を魔除けのものとして軒先に吊るすようになになり、名前も「風鈴」に。江戸時代になると西洋からガラスの文化が伝えられ、ガラス製の風鈴が誕生。庶民の間で流行し縁側に飾る文化が誕生

さらに時代が進むと、ガラス製品の価格も徐々に下がっていきました。庶民も手に入れやすくなると、風鈴は住宅の縁側で使用されるように。

日本の夏の風物詩に!

庶民の間で風鈴が流行すると、その役割は魔除けだけでなく飾って楽しむものとしても扱われるようになった。

風鈴が流行する以前、庶民の間では“鈴虫を飼い風情ある鳴き声を楽しむ”という風習がり、風鈴は鈴虫の鳴き声と似ているため、代わりとして扱われるようになった。

鈴虫がまだいない夏の始めには風鈴を縁側に吊り下げ、鈴虫が出始める夏の終わりから秋にかけては風鈴をしまっていた。 こうして、夏の風物詩としての風鈴文化が形成されたという。諸説あり。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です