原釜笠岩公園(はらがまかさいわこうえん)に建立されている慰霊碑は、東日本大震災の犠牲者を追悼し、震災の記憶と教訓を後世に伝えるための重要な施設です。
- 関連施設: 慰霊碑は、東日本大震災の記憶を伝える「相馬市伝承鎮魂祈念館」の敷地内に建立されています。伝承鎮魂祈念館は、津波で甚大な被害を受けた相馬市の「原風景」を記録し、犠牲者への追悼と防災意識の啓蒙を目的としています。
建立目的と背景
原釜笠岩公園慰霊碑は、東日本大震災による津波で被災した尾浜・原釜地区、磯部地区の犠牲者を追悼し、残されたご遺族の心のよりどころとなることを目的としています。また、震災前の地域の美しい風景や人々の暮らしを後世に伝え、震災の教訓を語り継ぐ場としての役割も担っています。
相馬市では、東日本大震災で458名もの尊い命が失われました。特に原釜・尾浜地区は、津波により一瞬にして207名の人々が犠牲となるなど、甚大な被害を受けました。こうした背景から、この慰霊碑は、犠牲者の御冥福を心より祈念するとともに、「東日本大震災」を後世に語り伝えるために建立されました。
碑文と犠牲者
慰霊碑には、以下の碑文が刻まれています(一部抜粋)。
- 碑文:
「平成23年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の地震が発生した。約1時間後、高さ9メートルを超す真っ黒な大津波が容赦なく集落を破壊し、家々を呑み込みながら、海岸から約4キロメートル先まで流れ込んだ。この地は、古くは万葉集にも詠まれた風光明媚な松川浦、江戸時代には東廻り航路で名が知れた原釜湊、また近年は外国船も入港する重要港湾相馬港、沿岸漁業基地である松川浦漁港、海水浴・潮干狩り・魚介類の直売・いちご狩りなどに多くの観光客が訪れ、本市の産業を牽引してきた地区である。しかし大津波により、一瞬にして原釜・尾浜地区などの人々207名をはじめとする市民458名の尊い命が失われた。ここに、この地で犠牲となられた方々の御冥福を哀心より祈念するとともに、「東日本大震災」を後世に語り伝えるため、御芳名を刻み、この碑を建立する。平成26年3月11日 相馬市長 立谷秀清」 - 犠牲者の芳名: 慰霊碑の表面には、地区の犠牲者の方々の芳名が刻まれています。また、相馬市伝承鎮魂祈念館内には、震災で亡くなられた相馬市の犠牲者458名のご芳名を記載した追悼場所が設けられています。
慰霊碑の材質と建立時期
- 材質: インド産黒御影石(クンナム)
- 建立日: 平成26年3月11日
笠岩公園の役割
笠岩公園は、元々地域の憩いの場として親しまれてきた場所ですが、東日本大震災で甚大な被害を受けました。現在は、慰霊碑と相馬市伝承鎮魂祈念館が整備され、震災の記憶を伝えるとともに、地域の交流の場としての役割も担っています。また、周辺は防災緑地公園として整備が進められており、減災の考え方に基づく多重防御の一環となっています。
このように、原釜笠岩公園慰霊碑は、東日本大震災の犠牲者への追悼、震災の記憶の継承、そして未来への教訓を伝えるという多岐にわたる重要な役割を担っています。
📍所在地と関連施設
所在地: 福島県相馬市原釜字大津270(笠岩公園内)