亀岡文殊(かめおかもんじゅ)は、山形県東置賜郡高畠町にある「松髙山大聖寺(しょうこうざんだいしょうじ)」という真言宗智山派のお寺の通称です。
亀岡文殊の概要と特徴
- 日本三文殊の一つ: 丹後(京都府)の切戸の文殊、大和(奈良県)の安倍の文殊とともに、日本三文殊の一つに数えられています。
- 知恵の文殊・生き文殊: 文殊菩薩は知恵を司る菩薩として知られており、亀岡文殊は特に「知恵の文殊」、または「生き文殊様」として、学業成就、合格祈願、願望達成の神様として篤い信仰を集めています。受験シーズンには多くの参拝者が訪れます。
- 歴史: 大同2年(807年)、東北地方布教のために当地を訪れた徳一上人が、中国の五台山に似た山容に感銘を受け、文殊堂を建立したのが始まりと伝えられています。本尊の文殊菩薩は、約1480年前に中国五台山から伝来し、その後、平城天皇の勅命により徳一上人によって現在地に移されたとされています。

ご利益
- 学業成就・合格祈願: 最もよく知られるご利益で、入学試験や入社試験などの合格を祈願する人が全国から訪れます。
- 願望達成: 知恵を授ける文殊菩薩のご利益として、人生全般の生きる知恵を授かり、困難を乗り越え、願望を達成できるとされています。
- 家内安全・商売繁盛・厄払い: 境内にある大黒天は、家内安全や商売繁盛のご利益があるとされ、「生き大黒」と呼ばれています。
- 利根水(りこんすい): 文殊堂の裏側には「利根水」と呼ばれる知恵の水が湧き出ており、これを飲むと文殊菩薩の知恵を授かると言われています。
境内
- 境内は約2万坪、隣接する山林を含めると広大な敷地を有します。
- 高くそびえ立つ杉の木が立ち並ぶ参道の入り口には仁王門があり、両脇には金剛力士像が立っています。
- 本堂へ続く石段の参道途中には十六羅漢像や芭蕉句碑などがあり、歴史を感じさせる厳かな雰囲気が漂います。
- 本坊には大日如来を本尊として祀り、他にも県指定の木造聖観世音菩薩立像などが安置されています。
- 参道や境内の茶屋では、名物のこんにゃくを味わうこともできます。

亀岡文殊に参拝した、またはゆかりのある主な武将としては、以下の人物が挙げられます。
伊達政宗(だてまさむね)
- 伊達政宗の母である義姫(よしひめ)が、嫡男(後の政宗)の誕生を祈願し、亀岡文殊堂の長海法師を通じて湯殿山に祈祷を行い、懐妊したという伝説が残っています。政宗の幼名「梵天丸」は、修験道で使う幣束(へいそく)を「梵天」と呼ぶことに由来するとも言われています。
- 政宗が岩出山(現 宮城県)へ国替えとなった際、伊達家の学問寺であった資福寺の梵鐘を亀岡文殊堂に寄進したと伝えられています。この梵鐘は、後に破損したため原型通りに鋳造し直され、現在も大聖寺の鐘楼にあります。
直江兼続(なおえかねつぐ):
- 慶長7年(1602年)、米沢を預かるようになった直江兼続が主催し、亀岡文殊堂において漢詩や和歌など合わせて百首を詠む歌会が催されました。その時の詩歌が「直江兼続等詩歌百首帖」として奉納されています。
この歌会には、兼続の実弟である大国実頼や、前田慶次(まえだけいじ)など、上杉家の有名な家臣たちが参加していました。
徳一上人(とくいちしょうにん):
- 亀岡文殊の開基と伝えられる僧侶です。大同2年(807年)に東北地方布教のため当地を訪れ、中国の五台山に似た山容に感銘を受け、文殊堂を建立したとされています。文殊菩薩信仰を広めた重要な人物です。
平城天皇(へいぜいてんのう):
- 徳一上人が建立した文殊堂に安置されている本尊の文殊菩薩は、約1480年前に中国五台山から伝来し、その後、平城天皇の勅命により徳一上人によって現在地に移されたと伝えられています。天皇の勅命があったとされることは、亀岡文殊の由緒の深さを示しています。
芭蕉(松尾芭蕉):
- 俳聖として知られる松尾芭蕉は、『おくのほそ道』の旅の途中で亀岡文殊を訪れたとされています。境内には彼の句碑が建立されており、その存在が芭蕉の足跡を今に伝えています。彼の旅は多くの場所で文化的な影響を与え、亀岡文殊もその一つであったことがうかがえます。
義姫(よしひめ):
- 伊達政宗の母。前述の通り、嫡男(後の政宗)の誕生を亀岡文殊に祈願したという伝説があり、その信仰の篤さが伝えられています。
このように、亀岡文殊は、その開基から皇室、文学者、そして戦国の武将に至るまで、様々な時代の歴史的人物から信仰を集めてきたことがわかります。

📍アクセス
JR高畠駅から車で約15分、東北中央自動車道南陽高畠ICから約10分です。
駐車場も完備されています。
亀岡文殊は、古くから東北地方の名刹として、人々の知恵と願いを支え続けているお寺です。