サンドウィッチマンは日本のお笑いコンビ、漫才師。1998年9月結成。グレープカンパニー所属。愛称は「サンド」。2007年M-1グランプリ王者。みやぎ絆大使、東北楽天ゴールデンイーグルス応援大使、ベガルタ仙台市民後援会名誉会員、喜久福親善大使、宮城ラグビー親善大使、松島町観光親善大使、伊達美味PR大使、伊達なふるさと大使。

名前パート生年月日出身地
伊達みきお(だて みきお)ツッコミ1974年9月5日(45歳)宮城県泉市(現・仙台市泉区)
富澤たけし(とみざわ たけし)ボケ・ネタ作成1974年4月30日(46歳)東京都板橋区
サンドイッチマン
  • 2人は仙台商業高等学校(現・仙台市立仙台商業高等学校)の同級生で、同校のラグビー部で知り合う。高校卒業後、伊達は福祉系の専門学校へ進学するも、3か月で中退。父親の斡旋で福祉関連の会社に就職し、会社員として生活していくつもりだった。一方、お笑い芸人になりたかった富澤は、就職して正社員になると芸人を目指しにくくなるという理由で、アルバイトを続けていた。1995年に創立された吉本興業仙台事務所(仙台吉本)への所属を目標に定めた富澤は、伊達を誘うも断られ、小学・中学時代からの別の友人と「ゆやゆよん」というコンビを結成。アマチュア活動をしていたものの、所属以前に仙台吉本が撤退してしまった。
  • 当初から伊達とのコンビ結成を熱望していた富澤は、すでに福祉関係の仕事に就いていた伊達を、3年間にわたり口説き続けた。最終的に伊達は、祖父の死をきっかけに「限りある人生、どうせなら好きな事をやらないと」と悟り、会社を辞める決意をする。1998年9月にコンビ結成。同年に上京し、コンビ名を「親不孝」とする。この時は先に上京していた芸人仲間と同じホリプロ預かり(後所属)となるが、後にフリーになると共にコンビ名を「銭と拳(かねとこぶし)」に改名。同時期に一度だけ「バイキング」というコンビ名で舞台に出たが、その際に他の芸人に同じ芸名のコンビ(現・バイきんぐ)があると言われた事から元に戻した。
  • その後、24歳の時にホリプロの同期だった浜田ツトムを入れたトリオとして「サンドウィッチマン」を結成する。このときは浜田がツッコミ担当で、富澤・伊達はともにボケ担当だった。わずか1年で浜田は脱退するが、元のコンビ名には戻さず現在に至る。このようにホリプロやH・R事務局に所属していたものの、この時はお笑いに理解のないマネージャーなどからネタの中身について注意されることを嫌い、自由にネタをできる事務所を探した結果、フラットファイヴに所属する事になる。
  • ライブには出演していたが、キー局でのテレビ出演がないまま年月は流れる。この頃富澤は、自ら伊達をお笑いの世界に誘いながら一向に結果が出ないことに負い目を感じ、コンビ解散や自殺まで考えていた。気が付けば30歳になっていた2人は、2005年を「勝負の年」と決め、アルバイトを減らして片っ端からライブに出演していく。そんな中、ついにその実力がテレビ関係者の目にとまり、日本テレビ系『エンタの神様』への出演が決定する。
  • 2005年5月28日、『エンタの神様』に初登場。披露したネタは「ピザのデリバリー」だった(後にM-1グランプリ2007最終決戦で漫才として披露される)。以降は知名度が上がり、同番組に定期的に出演するようになる。
  • 2006年5月13日・2007年9月24日、新宿シアターモリエール、2006年7月22日、仙台141にて単独ライブを開催。満員御礼となった。また、10月27日には、2人の母校である仙台商業高等学校の文化祭「仙商祭」に出演した[5]交通費代込みで10万円という破格の出演料だった。
  • 2007年12月23日、M-1グランプリ2007において、大会史上初となる敗者復活枠からの優勝を果たす。これが、コンビとしての大きな転機となる。
  • 2008年1月26日、イトーヨーカドー仙台泉店で、fmいずみ『サンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮)』の公開収録を行った(観衆は2000人)。宮城県知事から「みやぎ夢大使[6]」を委嘱され、泉区長から区長賞を授与された。
  • 2009年5月11日、伊達がフリーアナウンサーの熊谷麻衣子と結婚することを自身のブログで公表、7月11日に挙式・入籍した。また、同年6月8日、富澤が年下の一般人女性と2009年4月2日に入籍していたことを、所属事務所を通じて公表した。
  • キングオブコント2009ではM-1との2冠を目指し、初出場にして決勝に進出。1stラウンドは2位以下に大差をつけて首位で折り返すものの、結果は東京03に逆転されて準優勝。翌年以降は出場していない。現在、M-1優勝後にキングオブコントに出場して決勝進出を果たした唯一のコンビ(またはグループ)となっている。
  • 2009年、夏~秋にかけて、初の全国ツアーを開催。以後も毎年開催され、コンビの活動の柱となっている。
  • 2010年7月1日、約5年間所属したフラットファイヴを離れ、担当マネージャーと共にグレープカンパニーを立ち上げた。同時に、フラットファイヴに所属していたほとんどの芸人達も、グレープカンパニーへ移籍した。これは、フラットファイヴの社長兼夫婦芸人であるホロッコがサンドウィッチマンのM-1優勝に触発されて、漫才業を再開したことを理由とする円満移籍である。
  • 2011年3月、宮城県気仙沼市の漁港にて、『サンドのぼんやり〜ぬTV』のロケの最中に東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生し被災したが、すぐにスタッフ・出演者が全員無事であることをブログで報告。
  • 2012年から、中川家・ナイツと3組で「漫才サミット」と称する合同ライブを定期的に開催、各コンビが持ち回りで主催する形で全国を巡っている。
  • 2016年、欅坂46の冠番組である『KEYABINGO!』のMCに就任。
  • 2017年には、全国ツアーの一環として、自身初の海外公演となる結成20周年目記念ロンドン特別公演を開催。チケットが即日完売となる。
  • 2018年、日経エンタテインメント!発表の「好きな芸人ランキング」で、調査開始以来14回連続でトップに君臨していた明石家さんまを抜き、1位にランクイン。
  • 2019年、日本とスペインを拠点に活動するピアニスト、川上ミネとのコラボレーションで、初のスペイン公演を行った。