菊池 雄星(きくち ゆうせい、1991年6月17日生 )
岩手県盛岡市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLBのシアトル・マリナーズ所属。
妻は深津瑠美。代理人はスコット・ボラス。
■プロ入り前
小学3年生の時に見前タイガースで一塁手として野球を始める。
盛岡市立見前中学校在学中は盛岡東シニアでプレー。この頃から本格的に投手へ転向した。3年春に岩手大会準優勝。東北選抜の一員に選ばれ、全国大会優勝に貢献。花巻東高等学校に進学。
高校1年時、第89回全国高等学校野球選手権大会に出場。一回戦・新潟明訓高等学校戦にリリーフ登板し5回を1失点に抑えるもその1点が決勝点になりに0対1で敗退。この試合では145km/hの速球を投げたが、速球にこだわりすぎたことにより制球が乱れ、秋の県大会では1回戦で敗退した。2年春には球速も149km/hまでアップし、腰痛の不安で公式戦初先発となった2年春の東北大会準々決勝・仙台育英戦では6対2で完投勝利した。夏は県大会準々決勝で敗退。秋の岩手県大会では決勝で一関学院を7-1でくだし優勝するも、東北大会は優勝した光星学院に準決勝で敗れ、ベスト4に留まる。
ドラフト会議前にはメジャーリーグ球団からも注目され、元々の志望もありメジャーリーグ挑戦も考え、国内12球団に加え、メジャーの8球団とも面談。中でもテキサス・レンジャーズとの面談では、この年メジャーに定着したデレク・ホランドが同席した。全球団との面談終了後に菊池は、「どちらも素晴らしいと思いました。今は決めかねているんで、どちらも行きたいのが正直な気持ちで話を聞く前よりも迷っています」と語ったが、10月25日に「まだまだ自分のレベルでは世界で通用しないと思いました。日本の方全員に認められてから、世界でプレーしたいと思いました」として日本のプロ野球でプレーすることを表明した。
2009年10月29日に行われたドラフト会議では、埼玉西武ライオンズ、阪神タイガース、東京ヤクルトスワローズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、中日ドラゴンズ、北海道日本ハムファイターズの6球団による1巡目指名を受け、競合の末に西武が菊池の交渉権を獲得した。菊池は11月21日に契約金1億円+出来高5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で仮契約し、背番号は「17」に決まった。
■西武時代
2010年1月19日に球団から登録名を「雄星」とすることが発表された。このため背ネームが「KIKUCHI」のユニフォームは入団発表で着用しただけで、キャンプからは背ネームも「YUSEI」となった。2月16日には入学願書を提出していた東北福祉大学総合福祉学部通信教育部社会福祉学科に合格。これは、野球選手を引退後もスムーズに働けるようにとの考えからである。また、プロ入り後に大学に合格した例は極めて珍しく、プロ野球選手としての生活の傍ら、大学通信教育で教育職員免許状を目指すとしていた。同年の新人としては非常に注目され、かつ契約金等も高かったことから、その契約金を元手に「ぜひ後輩にも使ってほしい」との心意気で、3月24日には420万円の酸素カプセルを購入し、寮の自室に設置した。しかし、部屋の一角を大きく占有したうえ、取扱説明書をよく読まずに操作したため、機械から蒸気が出て部屋の温度が30度という熱帯状態を作りだした揚句、故障したという。シーズンでは左肩痛の発症により一軍登板はなく、二軍戦でも5月4日以来登板はなくリハビリに終始。
2011年はフォームをスリークォーターに戻し、開幕一軍入りを果たす。中継ぎ投手としてベンチ入りするも登板機会は無く4月22日に登録抹消となった。二軍で調整した後、6月12日の阪神タイガース戦で一軍初登板・初先発するも2回1/3を4失点で降板。それでも初めての一軍登板を終えた嬉しさからか、試合後のインタビューで涙を流した。その後二軍での調整を経て30日のオリックス・バファローズ戦に先発し、5回を2失点でプロ初勝利を挙げた。8月18日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では8回まで無失点の好投をし、9回表に山崎武司に通算400号本塁打を打たれたものの、初完投勝利。8月31日には、故郷・岩手県での試合に登板し、打線の援護がなくプロ初黒星を喫したもののシーズン2度目の完投。結局9試合に先発し4勝をあげた。シーズン終了後の11月8日から12月22日まで、オーストラリア・ABLのメルボルン・エイシズに派遣され、5試合の登板で1勝2敗、防御率4.38、WHIP1.54の成績を残し、オールスターゲームにも出場。12月26日に契約更改した。
2012年は開幕を二軍で迎え、稲尾和久の背番号『24』が永久欠番となることを記念するメモリアルゲームとして開催された7月1日の北海道日本ハムファイターズ戦で一軍に昇格し先発。勝敗はつかず8回を投げ6安打3失点の投球だったが、プロ入り後の最速となる150km/hを記録。この試合ではこのシーズン初の三重殺が達成された。ちなみに、この試合でライオンズの選手は全員が背番号24のユニフォームを着用していたが、三重殺に倒れた打者である陽岱鋼の背番号も24であった。15日のオリックス戦では6回から登板し4回を無失点に抑え、プロ入り後初セーブを記録している。8月から9月にかけては8試合に先発し3勝2敗、防御率2.20、WHIP1.05と好投を続けた。12月4日に300万円増の年俸2300万円で契約更改した。
2013年は開幕一軍入りし、3月30日の日本ハム戦では高校の後輩でもある大谷翔平と対戦し、2三振に抑えた。4月13日の楽天戦では9回を3安打無失点に抑え、プロ入り後自己最速となる最速153km/hも記録する投球でプロ入り後初完封勝利を挙げる。6月12日の中日ドラゴンズ戦では9回1死までノーヒットノーランの好投を見せる。7月5日のロッテ戦で9勝目を挙げ、オールスターに初選出される。しかし後半戦からは2試合連続で4失点を喫し、7月から異変があったという左肩の炎症で8月7日に登録抹消されそのままシーズンを終え、自身初の2桁勝利を逃した。シーズン終了後、現役引退したばかりの石井一久を引き継ぎ背番号を16へ変更。
2013年
2014年も開幕一軍入りし先発ローテーションでの活躍が期待された。しかしこの年は思うように調子が上がらず、前年の活躍から一転不振に陥る。防御率自体は3.54とそこまで悪くなかったが、規定投球回に届いていないにも関わらずリーグ1位の78個の四球を与えるなどコントロールに苦しんだ。最終的に前年を上回る23試合に登板したものの、5勝11敗と負け越す結果となった。
2015年7月16日、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手65名に選出されていたが、9月に発表されたトップチーム候補選手45名からは漏れた。9月13日、西武プリンスドームでのロッテ戦の初回にプロ入り後の自己最速を更新する155km/hをマークすると、続く2回にはプロ野球一軍戦における当時左腕史上最速となる157km/hを記録した(二軍戦ではソフトバンクの左腕・川原弘之投手が158km/hをマークしている)。
2016年は自身初の開幕投手を務め、8月26日の対北海道日本ハムファイターズ21回戦(県営大宮球場)で、自身初の2桁勝利を達成し、9月28日の対北海道日本ハムファイターズ25回戦(西武プリンスドーム)で6回を投げ1失点、規定投球回にちょうど達し、自身初の規定投球回をクリアし防御率はリーグ2位だった。この試合は、日本ハム優勝決定試合かつ大谷と同高出身対決で大谷が1安打完封し、菊池には負けがついた。プライベートでは6月24日にフリーアナウンサーの深津瑠美と入籍した。
2017年は2年連続の開幕投手を務め、7回1失点で勝利投手となり、4月21日の日本ハム戦では被安打1で4年ぶりの完封勝利を達成した。7月7日の楽天戦ではシーズン2度目の完封勝利を達成し、7月はこの1完封を含む3勝0敗で防御率0.81の好成績をあげたが、同じく3勝0敗で防御率1.33の東浜巨が7月度の月間MVPを受賞し、惜しくも月間MVPの初受賞を逃した。8月3日の楽天戦では、当時左腕史上最速の158km/hを記録し、8回1失点で勝利投手となった。シーズン通算では、防御率は2位の則本昂大に0.6の差をつけて最優秀防御率を獲得、白星も東浜と並ぶ16勝で最多勝利を獲得。奪三振は1位の則本と5個差のリーグ2位、WHIPはリーグで唯一の1.0未満であった。自身初のクライマックスシリーズではファーストステージ第1戦で完封勝利を記録したものの、チームは1勝2敗でステージ敗退となった。
同年シーズン終了後、スコット・ボラスを代理人としてポスティングシステムによるMLB移籍を表明。そして、現地時間12月31日にシアトル・マリナーズと契約合意したことが報じられる。2019年1月8日、NPBより自由契約選手として公示され、NPB12球団における平成最後の自由契約選手となった。
■マリナーズ時代
2019年1月2日にマリナーズと4年契約で正式に契約を結ぶ。契約は3年4300万ドルを基本とし、3年目終了時に選手側と球団側それぞれに契約オプションがある。双方共にオプションを行使しない場合、事実上オプトアウトでのFAとなることができる。契約オプションは選手側が単年1300万ドル、球団側が4年6600万ドル。1月4日に入団会見を行った。背番号は。
3月21日、開幕シリーズとなる東京ドームで行われたアスレチックス戦に先発登板し、メジャーデビューを果たした。日本投手の日本での大リーグ初登板は史上初。この試合でイチローが現役引退を表明し、菊池は涙を流しながらハグを交わし、謝意を表した。4月20日、対ロサンゼルス・エンゼルス戦で6度目の先発登板にて5回10安打4失点でメジャー初勝利を挙げた。先発6度以上で初勝利は1995年野茂英雄(当時ドジャース)の7試合目に次ぐ難産だった。8月18日の対トロント・ブルージェイズ戦(ロジャーズ・センター)で9回2安打無失点(8三振1四球)でメジャー初完封勝利を挙げた。球数はわずか96球で、100球以内の完封は自身初となった。32試合登板で6勝11敗・防御率5.46、161回2/3を投げて116奪三振の成績でシーズンを終えた。
肩甲骨の可動域が広く、投球フォームは「外旋が一番効く」というスリークォーターだが、「スリークォーターの意識だとオーバースローになる」ためサイドスローを意識することでスリークォーターで投げているという。クイックは高校時代には1.0秒台を記録していた。
テレビゲーム・実況パワフルプロ野球の影響で2013年からチェンジアップを投球に加え、同年は被打率.106を記録する決め球となった。しかしその後球速が増加してからは制球が難しくなりチェンジアップの投球割合は減少。菊池本人は「ストレートが走り出すと抜く変化球は難しいのかな」と語っている。
高校時代に第81回選抜高等学校野球大会で菊池と対戦経験がある今宮健太は、「100%(内角速球)来るとわかっていても打てなかった」と語っていた。プロ入り当初は球威を失っていたが、投球フォームを安定させボールの回転が真っ直ぐになったことで球威が復活した。
打者走者としても一塁到達まで4.0秒台を記録する俊足を誇っている。
西武時代は福岡ソフトバンクホークスを苦手とし、デビューからの同一カード連敗記録を更新し、防御率でも、他のパシフィックリーグ4球団および交流戦の防御率は全て2点台にもかかわらず、対ソフトバンクだけは5点台と相性が悪い。2018年8月24日には、通算で1軍公式戦18試合目の対戦で13敗目を喫し、1960年から1963年にかけて梶本隆夫(阪急ブレーブス)が対南海戦で13連敗を記録して以来55年ぶりにリーグの同一カード連敗記録に並んだ。2017年、16勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得した年に6敗しているが、そのうち4敗はソフトバンクに対するものであった。2018年9月28日には7回3失点で、19試合目にして初勝利を挙げた。しかし、クライマックスシリーズファイナルステージでは初戦に先発するも5回6失点でKOされ敗戦投手となっている。一方で東北楽天ゴールデンイーグルスに強く、2017年だけで8勝0敗・CS第1ステージでも勝利した。しかし2018年は7月までに記録した2敗はいずれも楽天戦で、楽天戦で3試合に打ち込まれ途中降板している。
■人物
利き手は左だが、箸は右利き。
趣味はラーメンの食べ歩きと読書で、若獅子寮入寮の際は「(持っている本の)10分の1くらい」としながらも50冊を超える本を持ち込んだ。日本経済新聞で読書日記を連載した際には、愛読した本として司馬遼太郎『燃えよ剣』、浅田次郎『壬生義士伝』、童門冬二『上杉鷹山』、清水潔『殺人犯はそこにいる』、沢木耕太郎『敗れざる者たち』などに言及している。
小学生時代には野球以外にもバレーボール、水泳、器械体操、習字、ピアノ、ソロバン、将棋、絵など数々の習い事をしてい。
好きな投手にはクレイトン・カーショウとジオ・ゴンザレスを挙げ、理想の投手にはランディ・ジョンソンを挙げている。球速へのこだわりがあり、世界最速記録となる105mph(約169km/h)を計時したアロルディス・チャップマンも目標としている。
「菊池雄星」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2020年8月9日 (日) 13:50 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org