伊達氏と米沢・東置賜
◎伊達氏と米沢 初代仙台藩主伊達政宗公は今の山形県米沢市舘山地区にある舘山城で誕生し二十五歳まで過ごしました。 伊達氏は元々、常陸国(茨城県)の豪族でしたが姻戚関係にある源頼朝による奥州合戦(奥州藤原氏討伐)に参戦しその恩賞により現在の福島県伊達市に本拠地を定めました。 室町時代、陸奥の国の守護となり、その後、今の山形県東南置賜の高畠町に進攻し長井氏を滅ぼして米沢一体も統治しました。舘山城は祖父晴宗の時に増築され現在の舘山地区を中心に城下として整備が開始されました。 戦国時代の後半、伊達政宗は舘山城を本拠地として南奥州(福島県の大部分と山形県の置賜地方と宮城県の南半分)を支配しましたが豊臣秀吉の奥州仕置きにより伊達政宗は現在の宮城県大崎市の岩出山に移封され、関ケ原の戦い後、徳川家康の許しを得て、今の仙台に築城し仙台城を築き、仙台藩祖となりました。。 ◎伊達氏と広幡・六郷 中世、置賜地方を治めた伊達氏は成島八幡宮の社殿の増築や修築を行い、六郷の長善寺には伊達家の紋章の菊が彫刻され須弥壇が安置され、そして、今も両地区には伊達時代の城郭跡が点在している。 広幡地区 広幡の地名は成島、小山田、上小菅、下小菅の4カ村が成島八幡神社の前に広がる里であることから八幡の冠字である「広幡」をとって名付けられました。米沢焼や成島・下小菅人形、棟札、古墳群等歴史遺産も多く、又、餅文化も息づき秋の七草の一つであり寒さに強い桔梗(ききょう)の里と呼ばれる風光明媚(ふうこうめいび)な地域です。 六郷地区 六つの大字(西藤泉・轟・一漆・西江股・桐原・長橋)が一つになった六郷は農村文化が受け継がれ今も行屋(ぎょうや)群や湧水地群や巨木を守り豊饒(ほうじょう)の里と呼ばれ、土地が肥え作物が良く実る緑多い地域です。 ◎伊達氏と小松 江戸時代、置賜の物流の拠点として栄え今もその伝統を引き継ぐ小松地区の繁栄の基盤は伊達時代に造られました。譜代家臣の原田氏を配し越後街道や街並みや田圃の整備、河川改修そして神社仏閣の庇護等、領内の経営にあたりました。重臣となる片倉小十郎景綱の生誕の地片倉館や越後高田城普請の帰りに伊達政宗が宿泊した常念寺がある小松地区は深く伊達の精神が息づく街です。 ◎伊達氏と高畠地区 高畠地区は置賜地方では早くから拓けた地域で12世紀に高畠も含めた置賜地方は大江広元氏が治めていました。14世紀になり伊達宗遠(8代)が長井氏(大江氏)を駆逐し、以来200年間伊達氏の時代が続きました。その間、伊達稙宗(14代)が高畑城を本拠地として置賜地方を治め伊達氏の置賜地方支配を盤石なものにしました。又、江戸時代になり高畠地区は上杉領や幕府直轄領を繰り返しました。