平田東助(1882–1945)米沢信夫町に米沢藩士伊藤昇迪の二男として生まれ、安政3年藩医平田亮伯の養子となる。興譲館出身。
明治2年、藩命により大学南校(東京大学の前身)に学び、明治4年岩倉遣外使節団に随行、ドイツに留ってベルリン大学で政治学、ハイデルベルク大学で国際法、ライプチヒ大学で商法を研究。明治8年日本人として初めてドクトル・フィロソフィーの学位を受ける。
明治9年に帰国後、内務省御用掛、大蔵省御用掛、太政官文書局長、法制局参事官、法制局部長を歴任し、明治23年貴族院議員となる。明治31年法制局長官兼内閣恩給局長・枢密顧問官に就任。明治33年「産業組合法案」成立貢献。

戦前日本の統制行政を代表する人物
東京帝国大学法科大学を卒業後、留学を経て内務省に入り、地方行政・警察行政の実務に精通し、制度設計能力に優れた官僚として評価された。府県行政の合理化や中央統制の強化に取り組み、官僚組織の中枢で頭角を現す。
1937年の第1次近衛内閣で逓信大臣に就任し、郵便・電信電話・放送などの通信行政を統括、国家の情報統制体制を整備した。同年、企画院総裁として国家経済の企画と統制を統括し、国家総動員法を基礎とした物資・労働・産業の統制、総力戦体制の制度化を主導した。企画院は当時の「経済頭脳」と位置づけられ、平田は戦時経済体制を支える中核人物となった。
一方で、政党政治を排した近衛文麿の新体制運動には慎重で、官僚としての中立性と組織的自律を重んじたとされる。戦後評価は賛否が分かれ、統制国家の構築に関与した点で批判もあるが、近代日本の行政機構や計画経済の基礎を整えた功績は大きく、戦前官僚制を象徴する存在として位置づけられる。
1. 略歴(経歴の流れ)
1882年(明治15) 米沢藩医の次男として生まれる。後に藩医平田亮伯の養子となる。
1907年 東京帝国大学法科大学卒業。留学を経て内務省へ。
1910年代~20年代
• 府県での地方行政に携わる(権限拡大や地方行政の合理化に関心)。
• 内務官僚として警察行政・地方行政を担当し、中央官僚として頭角を現す。
1930年代
• 内務省の中心人物として行政改革・地方制度の整備を推進。
• 1937年 第1次近衛内閣で 逓信大臣(郵便・電信電話・放送などを管轄)。
• 1937–39年 企画院総裁として国家経済の企画部門を統括。
戦時体制期(1937~45)
• 国家総動員体制に深く関与。
• 経済統制・資源配分・人的動員などの制度設計に携わる。
• 「新体制運動」や挙国一致体制の組織には批判的・慎重姿勢を取ったとされる。
1945年 終戦直前に死去。
■ 2. 人物像
● 行政官僚としての統率力
• 地方行政・警察行政に精通し、「実務型の官僚」として知られる。
• 法と制度に基づく合理的な行政運営を重んじ、現場主義的な姿勢が評価された。
• 政治家というより “官僚エリート” の代表格。
● 規律と秩序を重視
• 内務官僚の伝統に沿い、社会秩序維持を重視する保守的傾向が強い。
• 同時に、行政の効率化と中央統制の必要性を主張した。
● 近衛文麿らの政治家・軍部とのバランス役
• 軍部の要求には一定の理解を示しつつも、
「政治・行政として統制すべき」という官僚的価値観を持っていた。
• 近衛文麿のような政治家とは距離を置き、官僚としての自立性を保持。
■ 3. 政策・業績
■ (1) 地方行政改革・内務省の強化
• 内務省の中央統制を強め、地方官庁の効率化を推進。
• 府県知事の権限強化、警察行政の再編などを行った。
■ (2) 企画院総裁としての「国家経済計画」
企画院は当時の “経済政策の頭脳” とされ、
平田はその中枢として重要な制度設計に携わった。
• 政府による経済の計画的指導
• 物資統制、価格統制
• 労働動員や産業人員配置
• 国防と経済の統合
など、「戦時経済運営の基礎」を作った人物の一人。
■ (3) 国家総動員法の運用への貢献
• 1938年制定の国家総動員法をもとに、
生産、物資、労働、金融などを統合的に管理する仕組みを構築した。
■ (4) 逓信行政の近代化(逓信大臣として)
• 郵便・電話・放送の国家管理を強化
• 通信インフラ整備
• NHK(日本放送協会)の組織体制整備への関与
など、情報通信の国家統制の強化を進めた。
■ 4. 当時の政治における役割
● a. 「官僚統制」の象徴的存在
1930~40年代の日本は、
• 軍部、 官僚、 政党の3勢力がせめぎ合っていた時代。
平田はその中で、“官僚機構が国家を動かす” 体制を担った中心人物 の一人。
● b. 企画院を通して「総力戦国家」へ移行させたキーパーソン
• 経済・産業・資源を総合的に統制する仕組みの基礎をつくり、軍部の要求を“制度”として裏付ける役割を果たした。
● c. “新体制運動” への距離
近衛文麿が推進した「政党政治を排し、官僚・大企業・軍部が一体となった新体制」には慎重で、企画院の独立性を守ろうとした。
つまり、軍部にも政党にも寄らず、「官僚としての中立性」 を維持した稀有な存在でもある。
■ 5. 評価
• 統治機構・行政制度に精通した実務型の官僚。
• 経済計画・行政改革で近代国家としての枠組みを整備。
• 無責任になりがちな政治・軍事の中で、一定のバランス役を果たした。
■ 6. まとめ(要点一気読み)
• 山形県出身のエリート内務官僚
• 企画院総裁として戦時経済の制度設計を主導
• 逓信大臣として通信行政を統制
• 官僚主導の統制国家システムを築いた中心人物
• 戦後の評価は賛否分かれるが、日本の近代行政に大きな影響を残した
